林邦史朗の事業

武劇事業の歴史

「林邦史朗創始の武劇」とは一体、どのようにして創作されたモノなのでしょうか?

 「林邦史朗が、殺陣師として活躍を始めた当時」は、ドラマでアクションシーンがある場合には殺陣師(振付師)の他に、例えばドラマの主人公が空手の達人であるなら「空手の専門家」を呼んでいたのだそうです。
 ・・・ところが、こういった「武術家の肩書を持つ人達」がドラマ制作現場に携わると、自分の専門分野には確かに詳しいのですが、それをいかにして盛り上げドラマティックに構成していけるかという辺りは専門外なのです。

 林邦史朗は、非常に合理性を愛する人であったので、そんな現場を目にして「自分が武術を学んでしまえば、このような無駄な事はなくなる」と考えました。
 ・・・もともと林には、その時点ですでに、剣道やら柔道などの下地もありました。

 以降の林は、様々な武術を研究するようにもなり、そのエリアも合気道空手琉球古武術中国拳法忍術にも及び、各種剣術の流派はもちろん、古武術(弓・槍・薙刀・柔術など)に至るまで。
 もはや、「研究していない分野がないのではないか・・・」というほどに知識と技術を深めていき、立ち廻りの撮影現場でも林は、殺陣・武術指導として、その手腕を発揮してきました。

 さて、そんな林が1975年に、日本伝来の武道殺陣を融合したエンターテイメントである「武劇」を創始します。

 さてここで「武術や武道というのは、一体何を示すのか」についてですが。
 それは「日本の武士が、戦場で戦うために身に付けた武芸」という意味になると、林邦史朗は書いています。
 ・・・サムライ・スピリッツの源であるのはもちろん、素晴らしい伝統を持つ文化ではありますが、また「古武道の演武」を目にしても、「林のように知識のある人には、何をやっているのかが理解出来ます」が、知識のない人には大変に判りづらく、まして「見て感動する、同感を得る」といった事はないのです。
 ・・・そう、一種、殺伐とした感のある「武芸」には、エンターテイメント性がないからです。

 そこで林邦史朗は、もともと「人に見せる目的ではなかった武術」を、誰でも・・・言葉の壁さえをも越えて、理解され、感動して戴ける作品に出来ないものかと考え、仕上げたのが「武劇」であり、それは事実アメリカやオランダで大絶賛をされています。

 ・・・しかしながら、自らが創始し、さまざまな方向性で演武をしてきながらも、林邦史朗の中ではまだまだ、もっと色々な演武の形があるのではないか
 もっと良い表現の方法はないものかと、模索をし続けた生涯でした。

 ・・・これだけの数の公演をし、海外で注目を浴びる事さえもありながら、彼の中では「武劇」は生涯、未完成でした。

 現代劇・時代劇を問わず、日本の伝統文化である武術と演劇を融合させた「武劇」を誰かが繋ぎ、演じてくれる人あれば、もっと別な形での日本の侍文化をアピールしてくれるのではないか。

 ・・・昨今、口軽く「侍精神と称してのスポーツが盛ん」ですが、とは「武道の哲学を胸に刻む存在」であり、あくまで自らが危害を加える為に武術の修行をする訳ではありません
 やむを得ず、身に掛る火の粉を打ち払う為だけその腕を活かすのみであって、その奥義は何かといえば、すべて「先に手を出した方が、負ける」ことに繋がっています。

 ・・・ぎりぎりの処まで自らを追い込み、その高みまで鍛えられてきた精神性と信念は世界に通じ、今では侍ブームが起こっています。

 「武劇を日本が誇れる、侍精神を伝える場」として、能や歌舞伎に並ぶ日本のエンターテイメントとして誰もが触れられ、学べて、その術を伝えてゆきたい・・・。
 この日本の国の伝統文化として生き続けていけるよう、試み続ける・・・それが、この演目を発表していた林邦史朗の夢であり、生きがいでした。
写真右は、最後の病床で弟子の山野亜紀に託した「武劇への想い」を綴ったメモ)

 「林邦史朗創始の武劇」とは、上記の侍文化を盛り込んだ演目の他に、珍しい武器の紹介や、秘伝・奥伝と呼ばれる技を判り易いようにスローモーションなどを取り入れ、見て下さるお客さまに愛されるよう演出がなされていた演武様式(エンターテインメント)です。

 このHPでは、林邦史朗の研究成果稽古様式の目録を公開し、映像や文献などを整理した上で必要な方には有償で申し受け、後世に伝える事を目的の一つとしています。

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