お江戸の作法教室

第三話 武士(もののふ)の行く道

夜で、本当に良かった・・・。
波和湯風太郎は、心の底から思っていた。
これがもしも、町人や商人が大勢行き交う昼間であったなら。
・・・風太郎は思わず、身震いをする。

武士というもの、必ず、道の真中を歩く
これは城中であろうと、町中であろうと、変る事はない。
理由としてはまず、当時の身分制度がある。
つまり「士農工商」であるが、この制度の中では、武士が一番身分が高い。
だから堂々と、道の真中を歩く。

また武士の作法とは、自然体でありながらも常に己の身を守る術を取り入れているものだ。
たとえばこちらが、町の中で敵に奇襲をかけるとしよう。
目的のためにはまずは、建物の影か。
人の波に身を潜ませて、好機を探すに違いない。
あらゆる物陰に潜んで機会を伺う訳だが、相手が道の端などを歩いていたら。
しめたとばかり、こちら側は物陰から刀で一突き。
一息に相手を、討てるというものだ。
それを防ぐという意味もあって、武士は道の真中を歩くのだ。

ところでこの日の風太郎と、気儘之介の出で立ちである。
風太郎は武士であるから、勿論羽織袴に帯刀した姿である。
よって道の真中を歩いていても、少しの不審もない。
・・・気儘之介である。
古ぼけた野良着に、ツギがあたった袴、おまけに刀まで差している。
そんな奇怪な姿でいて、それでいてどことなく風格があったりするのはこの際、さすがといえばいいのか、何と言ったものか。
地味にして欲しいという風太郎の指示で、気儘之介には取り敢えず、手拭いを頭に巻かせてみた。
それがまた泥だらけで、雑巾にもならないような手拭いなのだ。
それでと言おうか、何と言おうか。
何をやってもどうも、違う方へと向かってゆくような・・・。
そして風太郎に付き合ってか、また堂々と道の真中を歩く気儘之介なのである。

ところで。
一昨年前までは、稽古の終った風太郎と気儘之介、源爺の店に毎日のように通っていた。
当然、共に道場に通う仲間もそれは知っているし、道中知らぬうちに出来た知り合いも多い。
道場を一歩出たところでまず、お梅婆さんに会ってしまった。
・・・当時はよくこの婆さんの拵える飯で、二人が腹を満たしたものだ。
この婆さん。世間では「気難し屋」で通ってはいるが、なに、気儘之介が可愛くて仕方がないのだ。
会えば嬉しくて、飯に誘う。
婆さんの住む長屋が、源爺の店に行く途中であるので、成り行きで送っていく羽目となった。

ところでお梅婆さんは、足は達者で声が大きい。
気儘之介が語る「武者修行の旅」の話に夢中で、それは熱心に相槌を打ち、その興奮した声は狭い長屋の隅々にまで届いてしまう。
「・・・・・・気儘之介・・・。頼むから、人目に立つような事はできるだけ・・・・・・」
と風太郎がたしなめようとした、まさにその時。
「よおおおぉっ、気儘之介じゃねぇかよっ。いつ旅から戻って来たんだよォ」
後ろから張り手のように飛んできた挨拶が・・・これまた、大きな声なのだ。
あぁ・・・・・・。風太郎は、胸を押さえた。
「伊佐? 懐かしいぜっ。元気だったか?」
伊佐とは、梅婆さんに飯を食わせてもらっていた頃、付き合っていた飲み仲間である。
「何だよぉ、その格好はっ。
いつもの格好付け屋のおめェらしくねぇじゃねぇかよっ、こいつぅ。
おらおらっ、おーいっ、気儘の奴が帰って来やがったぜぇっ」
その声に何だってぇとばかりに、何人かの長屋の者が顔を出した。
江戸の長屋者は何故だかみんな、物見高い。
「チックショーっ、気儘ぁっ。おいら、お前に将棋で勝ち逃げされてたんだぜっ」
「よぉ、忠太。え、そうだったかい?じゃぁ、これから一勝負やってケリつけようや」
「おい・・・。源爺の店に、行くんだったよなぁ俺達。なっ、気儘之介」
風太郎の声に、あぁそうだったと気儘之介は思い直した。
「・・・おぉ。じゃぁ将棋は、また今度な」
暢気そうに、あはあはと笑う気儘之介である。
今度また来るのは、やめてくれと言いたかったが。
・・・・・・風太郎は、ぐっと堪えた。

それからの道場から源爺の店までは、本来なら歩いて小半刻(約1時間)ほどの距離なのだが。
今日は、思いの他に時間が掛かった。
源爺の店先の赤提灯が見えた時にはもう、風太郎は空腹からではなく心労から、ふらふらになっていた。
「何だよ、風太郎。俺に会えてお前は、嬉しくはないのか」
「嬉しい。嬉しいのだが」
「うん」
「本当に、凄く嬉しいのだが・・・」
「うん」
・・・・・・一体、何と言ったものだろう。
あれこれ考えあぐねて、ようやく唇から洩れた言葉は。
「うれしいのだが、つかれる・・・」
その時。
「まぁあああーっ。気儘之介じゃないのぉ」
・・・赤提灯の影から客を、見送っていたものか・・・。
年頃の女の、頭に鳴り響くような甲高い声がする。
「あれ・・・・・・? お艶か?」
この店の看板娘のお楽の声にしては、声が黄色い。
「お楽は?」
二人共ここへ来るのは久し振りなので、様子がわからない。
「もぉおおーっ。お楽、お楽って。この店の看板は、お楽だけじゃないのよぉ」
「・・・だって、おめぇは。・・・なんっにも作れねぇじゃぁねぇか、酒専門で」
と、これは気儘介。
恨めしげに、お艶が髪を掻き揚げた。
「・・・うん、もぉ・・・っ、意地悪ねぇ。あたしにだって、海苔の一枚くらい炙れるわよ。さぁ、お入りなさいな。お楽、気儘之介と風太郎よ。お楽」
「気儘と、風太郎が?ホントにっ?」
中から懐かしい声がして、お艶よりいくらか若い女が、顔を出した。
お艶と違って、いかにも働き者の出で立ちである。
二人が以前からよく知っている、前掛けに襷掛けの姿だ。
その筈なのに、・・・・・・何か。
何かが、昔の印象と違っている。
「・・・・・・お楽・・・?」
何が違うのか思いつかなくて、二人は顔を見合わせた。
「あぁ、知らなかったのね。お楽も去年かしら。夫婦(めおと)になったのよ」
「・・・・・・っ、それでか」
思わず、二人の男の声が揃う。

・・・昔馴染みの顔が、一人前の人妻の顔になっていたのだ。
たった一、二年の間に、一体どれほどの様子が変っていくことか。
気儘之介の心には、涼風が吹く。

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