お江戸の作法教室

第二話 武士の退館

 土産だ。 食わないか?
 そういって自ら、むしゃむしゃと饅頭を平らげていく。
 井戸から水を汲んで、遠慮会釈なくガブ飲みをする。
 友のその様子を見て、風太郎は溜息をついた。
「・・・・・・気儘之介。その身なりはどうした。 ・・・お前が着るような物ではないように見えるが」
 ・・・それは、薄汚れた野良着に古い袴であった。
 腰には手拭いを引っ掛け、着物にはツギが当たっている。
「ん?あぁ、途中お袋の実家に寄って、元の奴は隠してきた。 あのいでたちでは、目立って仕様がなくてなぁ」
 あはあはと笑う気儘之介に、頭痛を覚えながら風太郎はまた尋ねた。
「だが、お前のお袋の実家への立ち入りは、差し止められているはずだ。 お前が立ち寄ったなどと知れると、あちらにも面倒を掛けることになるぞ」
「うん。だから誰にも会わずに、着物だけ夜の内に、秘密の場所から取って来た」
「は?」
「・・・俺だけのよ、秘密の場所があるのよ」
 にぃぃっと笑って、気儘之介は言う。
 勧められた饅頭が、喉を通らなくなってきた。
 そんな風太郎に、気儘之介はお構いなしだ。
「大丈夫だ。お前には、迷惑はかけん」
 自信たっぷりに言ってくれるが、多分それは無理であろう。
 気儘之介の行くところなど、たかが知れている。
 今この場所に二人だけで居ること自体が、既に異常だ。
 ・・・もう、自分の屋敷には手が廻っているに違いない。
 でも気儘之介は、つかの間の自由を満喫していて、今は幸せそうだ。

「もう、屋敷は息が詰まる。 兄上がいるから、跡目は大丈夫なのだが、この兄上が。・・・人はいいし、俺も好きだが、体が弱くてなぁ」
 兄の体調が良好な時は、振り向きもされず。
 兄が病床に付くと、掌(てのひら)を返したように。
「贔屓(ひいき)筋が増えてなぁ・・・」
 饅頭でぱんぱんに膨れた腹を抱えて、気儘之介は言う。
「仕方があるまい。その為にお前は、あの家に戻ったのだ」
「よせやい。お袋を呼んでくれると言うから、仕方なく戻っただけだ」

「母上様は、息災か?」
「うん。本妻が亡くなって、すぐにあの家に入って。身分違いの苦労はあるが、父上とは、うまくやっているようだ」
「そうか」

 気儘之介は、いわゆる妾腹の子である。
 上様が腹を壊されて、暫く休まれた百姓屋の娘が、気儘之介の母親だ。
 身分が低いので側室という訳にもいかず、江戸の町で暮らす中で、風太郎と出会った。  
 お互いに元服は済ませたものの、風太郎はどうにもならない武家の三男坊。
 事情ありの気儘之介と二人、風のようにふわふわと世の中を漂い、生きてきた。
 しかし気儘之介の兄上が大病を患ったのと、正妻がやはり流行病(はやりやまい)で亡くなったのを切っ掛けに、気儘之介母子は藩主殿の家に入ったのである。
 藩主殿には、他に男の子がなかったからだ。

「城で一回暮らしてみろ。絶対に、一晩で嫌になるぞ」
 気儘之介は、藩主の座には欲も未練もないようである。 「そうだ。源爺の店に行って一杯やろうぜ。久し振り、お楽にもあいてぇや」
「・・・・・・・・・まだ、食べるのか?気儘之介」
 たしか先ほど、饅頭を飲むように食べていたはずである。
「長年慣れ親しんだ味に飢えてるんだよ、俺は。付き合えよ、風太郎」
 気儘之介は、茶碗を片付けに立ち上がった。

 武士というものは、退館する時にはまず、刀掛けの上の段の小刀をその場で帯刀する。
 帯刀の仕方は、自分の臍の辺り(つまり中心)に鐺(こじり)・・・つまり、鞘の先っぽの部分)をまず、合わせる。
 袴の下に締めている帯の、上から一枚目の所に刀を通し、鐺を袴の左の併せの間に抜く
 袴を穿く場合は左右に、併せに隙間が出来るものである。
 これは袴が、前身ごろと後ろ身ごろを完全には縫い合わせていないからで、その左側の併せの隙間に、刀の鐺を導くのである。
 そして大刀は、刃が上になるように右手で持ち、玄関で初めて帯刀するのが作法である。

 大刀の場合は、帯の一番自分側、つまり内側に差し、やはり袴の左の併せの間に鐺を導く。
 帯刀する帯の差し込む位置を変える事で、大刀と小刀はお互いを傷付ける事はないし、据わりも良い。

「お楽は、元気でやってるかなぁ」
「俺も、会うのは久し振りだ。懐かしい」
「女房とずーっと、お楽しみか」
 まだ独り者の気儘之介は、そんな事を言う。
「そ・・・、それどころの騒ぎではないっ」
「ふぅん」
 二人は玄関で大刀を腰に差し、右足から草履を履いて仲良く、夜の町へと歩みだした。

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