お江戸の作法教室

第四話 気儘之介の経緯(いきさつ)

眉をおとして。
お歯黒にするのは、この時代の人妻の証であった。

「隠してたわけじゃないわ。でも風太郎はお嫁さんを貰ってからは、なしのつぶてだし。気儘なんか音信不通で、伝えようがなかったんだわ」
上目遣いで、お楽がちらっと気儘之介の顔をみた。
・・・それを言われては、何も言えない二人である。
「源爺は?久し振りに顔が見たかったんだが」
申し訳のように、風太郎が話題を出した。
「それがねぇ。腰を痛めちまって今、湯に行かせてるのよ」
お楽も、それは受け合い。
「寒いうちは休んでもらって、あったかくなったら迎えにいく約束なの」
二人に導かれて男二人、赤提灯の傍の暖簾をくぐった。
店の中は、人の熱気で外よりは暖かい。
「うぅ・・・」
気儘之介がうめく。
「何だ、気儘之介。どうした」
「焼いた魚に、海苔の炙ったのに、漬物だ・・・。ちんちんに沸いた鉄瓶だ・・・」
店の匂いを胸一杯に吸い込んで、早くも涙ぐんでいる。
・・・これは不味いかも知れない、と。
早くも風太郎は、お楽に叫んだ。
「二階の部屋を、今日は貸してくれないか」
「いいけど、あそこは掃除もあんまりしてないし。・・・相変わらず汚いわよ。店じゃ駄目なの?」
「二年ぶりなんだよ・・・俺も、あいつも。だからゆっくり話したいんだ。・・・金は今日は俺が払うから、今晩はあいつの為に、好きそうな物を見繕ってやってくれないか」
お楽は肩をすくめて、厨房へと入ってゆく。
すまないと風太郎は、心の中で両手を合わせた。
独身だった頃は何しろ、風太郎は穀潰しと呼ばれる三男坊。
財布の中身は余りにも軽く、いつも飲み代などの軍資金は、気儘之介任せになりがちであった。
・・・一時には、風太郎。
侍を捨ててこの店で、酒の肴を拵える生活を・・・決心したこともあった。
どこか婿にでも行く以外、生きる道の全く無かった風太郎に、波和湯の家を紹介したのは気儘之介である・・・。
お楽が、うふっ・・・と笑う。
「・・・昔はよく。魚を釣って来たものよね」
「・・・あぁ。釣った魚を、飲み代に変えてくれとな。・・・あんな言葉を源爺は、よく許してくれたものだよなぁ」
風太郎にとっては、恥ずかしくて。 そして、懐かしい思い出である。
「だって、風太郎が。・・・気儘に、いつもたかっているみたいで嫌だなんて言うんだもの。おじいちゃん、困ってたわよ。でもそのすぐ後に、気儘まで魚を持って来て。・・・おぅ、これも足しにしてくれなんて事、何回もあったわよね」
こらえ切れずに、二人は笑った。・・・全く、何と言うことだろう。
「魚なんて釣らなくたって、あいつは食べていけるんだ」
お楽も、それは受け合う。
「そこが気儘の、付き合いがいい所なのよ。・・・二人が来なくなってから、あたし、さみしかったわ」
風太郎は、思わず黙った。
・・・・・・本当は、何回か。
この店の前を通ることが風太郎に、まったく無かった訳ではない・・・。
この暖簾を、潜りたくても潜れない友を思うから。
風太郎はあえて、潜らなかったのである。
その、友だが。
二階に直通して欲しかった風太郎の気持ちに反して、やっぱりやりたい放題の挨拶を交わし。
人の食べている肴の味見をし、そしてもう何人かには一杯注いでもらって、機嫌がいい。

「風太郎も、一杯飲めよ。懐かしいぞ、この酒の味」
日頃は江戸の藩邸で、こんな居酒屋よりは余程高価な酒を飲んでいるはずなのに。
・・・ここの酒も、飲みつけた味で悪くはないのか、一向に不味くはないらしい。
・・・さぁ、と風太郎は気儘之介に声をかけた。
「二階を借りたぞ。そろそろ上がろう」
「俺は、ここでいいのだ」
案の定、駄々をこねる気儘之介を風太郎は、小声でたしなめた。
「・・・・・・お前。ここでは、お城の愚痴は言えないぞ」

取り敢えずは、海苔の炙ったのを肴に差し向かい。
注しつ注されつで、久しぶりに二人は杯を交わした。
・・・ところで。
この店は、二階へ上がる為には、梯子を掛けて上がるようになっている。
もしも気儘之介に何事かあれば、この梯子を引き揚げ、すぐ窓から連れ出せるのだ。
・・・風太郎はその思いからお楽に、二階を使わせてもらえるように頼んだのである。
だから階段は、二人が上がるとすぐ、風太郎の手で引き揚げられている。
それでは、酒や肴はどうするのか。
なんと、お膳に紐を通して。 ぶらりぶらりと、一階と二階を行き来するのだ。
お楽が気を利かせて、自分たちで好きに飲めるように、火鉢に鉄瓶をかけてくれた。
酒は樽ごと運んでくれたしで、二人はのんびりと火鉢にあたりながら、海苔の炙ったものを、口へ運んだ。風太郎はそうでもないが、気儘之介は感激している。
「・・・これは、屋敷では食べられないなぁ・・・」
「でも、これ以上のご馳走を毎日食べてるんじゃないのか、気儘之介は」
「いやぁ。・・・それなんだ、風太郎」
お猪口で一つ、気儘之介はグイッと飲んで喉を湿らせる。
「確かに料理は豪華で、俺も初めは喜んだ。だがなぁ・・・」
気儘之介の住む江戸屋敷では、そこで暮らす者全員の食事を台所で整える。
まずは料理を全て作り上げて、・・・それから。
「一応俺と兄上は、藩主の息子だからなぁ」
必ず、どんな料理にも毒見がつくらしい。
どんな豪華な料理も、気儘之介達の前に並ぶ頃には冷め切ってしまい。
・・・子供の頃から。
熱いものは熱く、冷たいものは冷たいうちにと食べていた気儘之介には、それがどんなご馳走でもやはり、味気なく感じるのだという。
「酒だけは、冷やで飲めば一緒だけどな」
そうはいっても。藩主の息子が毎晩のように、飲んで管を巻いているわけにもいかない。
何とかならないかと色々、気儘之介としても工夫はしてみるのだそうだが。
・・・なかなかに、上手くは、いかないそうな。
「いっそ、俺に台所をさせろと言いたくなることもあるぞ。味付けは薄いし、冷たいし。俺が町に出て自分で手に入れてきて、自分で出来たらと思う」
自分に自分で、毒を盛る奴はいないだろう、・・・そう言って。
気儘之介は、あはあはと笑った。
そして自分の作ったものを、兄の律之進にも食べさせたいという。
「だって、お茶ひとつ熱いものは飲めないんだぜ」
・・・唐突に。気儘之介は、そんな事を言う。

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