お江戸の作法教室

第五話 茶をもて(武家娘の所作)

だって、お茶ひとつ熱いものは飲めないんだぜ。
・・・・・・気儘之介はつまらなそうに、そんなことを言う。

子供の頃から、夏はともかく。
冬はいつも、火鉢に鉄瓶がかかっている。
お湯もいつも、沸いている。
・・・そんな環境で育った、気儘之介である。
だからお茶位は、いつも自分で入れていたし、飯も上手に炊けるのだ。
それはそれは母親から、厳しく躾けられたのだと、気儘之介は言う。

安毛良(あっけら)藩主・葉々成政(ぱっぱ・なりまさ)候の現在の正室であり、気儘之介の母でもある菜花(なばな)。
彼の人はそもそもは、農家の娘であった。
であるが故に、風太郎と知り合う前までは、この男。
母親の実家で暮らしていたのだ。
だから風太郎よりも野菜には詳しいし、料理だって当然上手いのだ。

菜花は以前は、藩主殿の世話になるつもりは全くなかったそうな。
親子二人、実家の農家で生涯を送るつもりでいたと言う。
・・・産まれてきた子が男の子だったから、成政候は考える気になったそうだが、しかしながら菜花の身分が、余りにも低すぎる。
世間体もあるから、すぐには側室に入れるという訳にもいかぬと。
・・・当時は、そんな話だったそうだ。

とりあえずは江戸で暮らさせ、折をみて藩邸に迎える。
・・・と、そんな沙汰が菜花には不満だった。
そんな事をしなくていい。
一生百姓でいいから、構ってくれるな。
そんな経緯が大分に続いて・・・結局、気儘之介は十二の年に江戸にやって来た。
・・・だから、当然。
身の回りの世話くらいにはもう、立派に出来る年になっていた・・・。

「俺はせめて、お茶くらいは熱いのが飲みたかったんだ・・・」
ところが。
農家の家では、囲炉裏やら釜戸がすぐ側にあった。
そして江戸でも、長らく暮らした長屋では、台所は目と鼻の先にあった。
でも江戸のお屋敷では、そうはいかない。
調べてみて気儘之介は、ひどく、がっくりとなってしまった。
・・・台所が、余りにも気儘之介の部屋からは、遥か遠くにあったからだ。
「・・・たしかに。俺の身の回りの世話をする女は始終側に居るし、不自由はない。でも俺には、そんな女は要らない。着替えだって、一人で出来る。いつもいつも側に居られては何だかこう・・・、うっとうしくてなぁ・・・」
着替えを手伝うという女に、それはいいからと、茶を頼んだのだと言う・・・。
そして、着替えが済んで。
・・・待てど、暮らせど・・・。
「というのは少し、大げさだが。・・・遅いんだよ、茶が来るのが。今までは自分で入れてたし、頼んだってすぐに来ただろう」
「まぁな」
「お茶くんな、あいよっ、お待ちってな感覚でいた・・・・・・俺には」
何か途中で、あったのかと。
・・・勘繰るくらいに待って、やっと、それは来た・・・。
それを持ってきたのは、 武家娘のしず、という女であった。

足付きの茶托に載せたお茶を、両手で持って廊下の真中を歩く
気儘之介の部屋にやって来ると、襖の向こうで茶を置いて膝をつき、手をついた。
「お茶をお持ちしました」
「入れ」
しずは襖の取っ手に手を掛け、まずは少し開けてから、今度は通れる程の広さに開けた
茶托を両手に持って、部屋に入る時には敷居は踏まない
跨いで渡るのだ。
中に入ってまずは膝を付き、茶を置いてから襖を静かに閉める
勿論、両手を使って襖を扱うのは言うまでもない。
部屋の入り口でもう一度、しずは深々と頭をたれた。

ちなみに、気儘之介の部屋は広い。
部屋の入り口からここまでに、五間程(畳を縦にして五枚の距離)ある。
その距離をしずは、茶を持って名前のとおりにしずしずと(気儘之介にとっては気が遠くなるほどにのろのろと)、やって来た。
気儘之介とて、武家の作法の心得を全く知らなかった訳ではないのだが。
武家の娘の作法とは、そうしたものなのである。

側までやって来るとしずは、膝を付いて茶をまず気儘之介の前に置き、そして再び深々と頭を下げた。
「お茶でございます」
「うむ。下がってよいぞ」
「はい」

しずはまた深々とお辞儀をして、摺足で2、3歩下がるとそこで振り返り、しずしずと擦足のまま襖の所まで戻ってゆく。
そこでもう一度。
気儘之介の方を向いて正座をして、また深々と頭を下げた。

・・・まだ、慣れていなかった気儘之介である。
ついこちらまで会釈を返してしまって、後でこってりと怒られた。
「・・・そんな事をなさる必要は、ございません」
・・・・・・気儘之介には、いつもお目付け役が付いているのだという。

そして、しずは。
部屋に入って来た時と逆にこちらから襖を開けて、敷居を跨いだ所でまた深々と頭を下げた。
そして襖をゆっくりと閉め、この部屋から出て行った・・・。

「俺はなぁ」
気儘之介は溜息交じりに、海苔を摘んだ。
「いつも自分じゃ熱い茶をいれて飲んでいるだろう。・・・癖になってて、つい蓋をあけて吹いちまった」
「うん」
熱い茶を吹いて、冷ましたということだろう。
「茶碗を持った時に気付けば良かったんだがなぁ・・・。習慣という奴でな。あとでしずは、俺が猫舌なのに熱い茶を出したとかで叱られたそうだ」
「・・・ふぅん・・・。気の毒したなぁ・・・。でもお前は本当に、・・・熱いお茶が好きなのになぁ」
長い付き合いの風太郎には判るのだが、藩邸では、そうもいかない。
「いつも持てない位のあっつい茶碗をよ。アチアチ言ってフーフーいって飲むのが好きだったのに。・・・あの時に、なんか茶碗が持てるなぁ、とは思ったんだよな。おやとは思ったんだが・・・つい、いつもの習慣でやっちまったんだよなぁ・・・」
熱燗の入った徳利を持って、風太郎もそれは受けあう。
「そうだよなぁ・・・。いつもそうしていたんだから、それは・・・やっちまうだろうなぁ・・・」
気儘之介は、お楽から送られてきた漬物に手を付けた。
懐かしい歯応えと味に、舌鼓を打ち・・・そして、苦笑交じりに言った。
「・・・・・・・・・持てる位の茶碗の・・・つまり、飲み頃って奴よ。その、お茶をよ。フーフー吹いて、冷ましちまったらお前。むせるのに、丁度いい湯加減になるんだよなぁ」
風太郎は、思わず顔を寄せて・・・こっそりと、言った。
「・・・・・・・・・やったのか」
「やったさぁ。全部吹いちまって、着ている物は汚すやら、叱られるやら。・・・・・・全く、何やらエライ目にあったぜ」
そうだろうなぁと笑いながら、二人は手を叩いて肴の催促をする。

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