お江戸の作法教室

第十六話 殿は馬上に・・・

 さて・・・と、おもむろに立ち上がってはみたものの・・・葉々(ぱっぱ)成政。
 これから一体、どのようにしたものぞ・・・。

 踏ん切りを付ける為にもと、一応は立ち上がってはみたものの・・・。
 見ると、成政の前で平然と、不肖の息子は欠伸(あくび)をしている。
 ・・・我が息子ながら、ふてぶてしいと言うのか、それともいっそ、大物・・・と言うべきか。
 理解する事を放棄した親子が、互いに一応は心を尽くそうかという真似事をしてみたとて・・・やはり。
 あるのは、決別・・・と言う事か。

 不意に、気儘之介が口を開く。
 ・・・若さの故か傍目にも、親よりは子の方が、勢いがあるように見受けられる。
「・・・で、結局は。今回のあなたの仕事は、私を連れ帰る・・・という訳ですか」
 これ見よがしに、不機嫌を絵に描いたような息子に言われても、と。
 はて・・・と、成政。
 首を、捻ってみた・・・。
「それは・・・・・・。今宵は、無理であろうな」
「は?」
「・・・わしは、わし一人で参った故に、そちの帰り支度までは・・・おぉそう言えば、何も考えてはおらなんだ・・・」
 二人の間に再度、春一番でも吹いたような・・・心地のした、親子であった。

 ・・・じゃぁ結局一体、何をしにここまで来たんだよ、バカ殿さんはよ・・・っ、とか。
 今この時刻まで居残って、結果はその仕打ちかいっ!・・・とか。
 のほほんとした父親の態度とは違って、息子の反応は、明らかに激しい。

 不肖の息子である気儘之介はここで一発、息を大きく吸ってみた。
 帰ろうと思えば、安毛良(あっけら)藩の江戸屋敷まで帰る事は。
 ・・・まぁ、駕籠を飛ばすとか、走って帰るとか。
 手段が全くない訳ではないが、どれも喜んで採って帰りたくなるような手段ではないし、帰りたいような屋敷でもない。
「仕方がないな」
「はぁ・・・・・・?」
 葉々成政は、珍しくも笑顔で息子を振り返った。
「今宵はお前を、置いて行こう」  ・・・・・・だから、くそ殿様よ。
 だったら一体、こんな時刻まで、何を思って長居を決め込んでいやがったんだよ・・・っ!!
 怒りを全身で表しながらも、気儘之介にとってはそれは、悪い話ではない。  あの、茶のぬるくて飯も不味い安毛良藩江戸屋敷に本日、只今、今宵の内に戻るよりは。
 ・・・迷惑かも知れないが、この友人宅に居候を決め込んだ方がはるかに、居心地が良い。

「十日ほど、暇をやろう」
 立ち上がっていた葉々成政は、思慮深げにそう・・・呟いた。
 何をどう思ったのやら、十日間だけだが、気儘之介に自由時間をくれたもの・・・らしい。
「十日後に迎えを出すから、その折に戻って参れ」
「・・・・・・・・・・・・」
 それに、何と答えて良いものか・・・。
 思慮にくれる気儘之介に、不意に・・・成政。
 声音を強くして、言った・・・ものである。
「おい」
「はい」
 相手が強気に出ると、つい・・・怯みそうになるものではあるが。
 気儘之介は、強気で成政の瞳を見返してみた。
 殿様の濃い瞳が、この時ばかりは強く輝いていた。
「・・・そういう時は。たとえ血の繋がりはあったとしても、平伏をして、有難き幸せ・・・とか申せ」
「・・・有難き・・・、幸せにございます・・・」
 上様に言われた通りに、気儘之介は作法にのっとった平伏を、してみせた・・・。

 ・・・親子とは言わず、血の繋がりのみを言ったのは、成政、果たして・・・。
 気儘之介には、上様の心は計り知れない。
「さて。わしは出るぞ」
 上様の物言いに、気儘之介は襖のそばまで戻って、上様の為に襖を開けた・・・。
 先程の物言いといい、取り敢えずは成政。
 ・・・不肖の息子と言えど、気儘之介を臣下・・・と扱うことを、決めたようだ・・・・・・。

 玄関までずかずかと行くと、まずは里絵が慌てたように口を開いた。
「お帰りですか」
「うむ。 世話になった」
「いえ、あのっ・・・」
 うろうろと、珍しくうろたえる里絵を、いつくしむような眼で成政は言った。
「二人、仲良く暮らせ。それと・・・」
「はい・・・?」
 成政は、里絵の傍近くに顔を寄せ。
「・・・我が不肖の息子を、十日ばかり頼む・・・」
と、小さな声でそっと・・・呟いた。

「成政様・・・?」
 風太郎がそれと気付いて、臣下の礼をとった。
それには成政、真顔で答え。
「世話になった。馬はどこぞ」
 見ると波和湯家の狭い庭に、成政の愛馬が繋がれ、鞍などは全て外してあった。
 馬は丁寧に手入れがされており、気持ちよさそうに寛いでいる。
「当家に馬小屋はありませぬが、せめてお手入れの方だけは、と・・・」
「ほう」
「・・・波和湯の家は、御祐筆役の家柄なのですが、私の里は、馬廻りでしたので」
「当主にいくらか、教わったものか・・・?」
「はあ・・・、少しばかり・・・」
 普段は寡黙な風太郎であるが、慣れた馬を前にして、いくらか心が落ち着いてきたのだろう。 珍しく、声音が軽い。
「私も、久し振りに主人とお話をしました」
 里絵も、いくらか明るい顔をしている。
 夫婦二人で力を合わせ、仲良く馬の世話をしていたようであった。
 鞍の手入れは里絵がし、風太郎は馬の手入れを。
 気儘之介を預かる件に関しては、いくらか戸惑いの表情を見せたものの・・・。
 風太郎は、おとなしく上様の意向に従った。
 ・・・殿様の言われるままにすること、当時は当たり前の事・・・と、言って良い。

 上様の出発に先駆けて、風太郎は馬に鞍を載せてやり、腹帯を締める。
 面懸(おもがい)、胸懸(むねがい)、尻懸(しりがい)の具合を合わせ、最後に上様の為に手綱を取った・・・風太郎である。
「・・・ところで、上様」
「なんじゃ」
「当家には、馬小屋もなく・・・。従って、馬乗り石もありませぬ。ですので」
 風太郎自身がその身をもって、上様の為に「馬乗り石の代わり」を勤めよう・・・というものらしい。

 当時の武家は、門の脇に「馬乗り石」を置く慣わしがあった。
 言うまでもなく、戦国の世なれば武士は、有事の折は馬を駆って、戦場にいち早く到着をして奉公に励むために・・・ではある、が。
 風太郎の住むこの当時となると、戦国の世もだいぶんと遠くなってしまい。
 ・・・風太郎の実家にはもちろん(馬廻り役ゆえ)、それはあったのだが、波和湯の家では、特に用意はしていなかったもの・・・と、見える。

 成政は、言った。
「それには、及ばぬ」
「ですが」
「なに、先程の馬小屋宅先にはあった。それを拝借する事と致そう」
 成政の馬を、一時預かってもらっていた隣家の門前で、騎乗をする・・・ということらしい。
「は、あ・・・」
 里絵は心の中で、明日はやはり絶対に、菓子折りを持って隣家に挨拶に行かねば・・・と、思っていた。

「ほう…、今宵はきれいな満月じゃ…」
 成政は機嫌よく波和湯家の隣の、門脇にある馬乗り石に乗った。

 武士という者。 は、右側から乗るものである
 馬乗り石にまずは乗って、それから馬の右側の方の鐙(あぶみ)に右足を掛け、手綱と鬣(たてがみ)を掴んで、成政は馬上の人となった。

 現代の洋風な鞍への騎乗は、左側から行なうのだが。
 武士の場合、それでは左側に帯びている大切な刀に傷を付けることになるし、騎乗の邪魔にもなる
 で、あるから。
 武士は、右から馬に乗るのが慣わしで、あった。

「風太郎」
「はっ・・・」
 馬が、尾っぽを一振り・・・。

 成政に請われて、風太郎は上様の傍近くに・・・寄った。
 無論、馬の視界から近寄ることは、言うまでもない。
 馬は非常に臆病な動物なので、驚かせたりすると蹴ったり、噛み付いたりする事も少なくない。
 傍近くと言われたらまず、馬に合図を送り馬の視界を通る事を意識して、成政の傍らに・・・風太郎は立った。

「・・・あれの面倒を、頼む。迎えの件は決まり次第、文を送るでな」
 ・・・・・・言われて、風太郎。
 うーむ、と唸った。
「はあ・・・。ですが、藩邸の皆様方は、気儘之介の帰りをお待ちになられている筈。上様は方々に、一体何と・・・」
 聞かれて成政、ちょと気儘之介の方を振り返って・・・こう言った。
「なに。馴染みの女郎がいたらしく、それと別れる為の時をやった・・・とでも、言うておくわ」
「女郎・・・っ?」
 臣下の礼をとっている気儘之介の眉が、著しく吊り上がった。
 それを見て、また成政はゆったり・・・と笑った。
「お前の身分を変えることは何しろ、もう無理じゃ・・・。まぁ、ゆっくりと考えてみるのも良かろう」
と捨て台詞を残して、不意に成政は、馬の腹を蹴った。

「ちくしょうっ一体、何を考えていやがる・・・」
 上様が行って、気儘之介は腕組みをして立ち上がった。
 何だか何もかも、全くしてやられたり・・・と言う感じで、面白くない気儘之介である。
「そう言うな・・・気儘之介。それにしても」
 里絵と二人、夫婦は顔を見合わせてくすくすと笑った。
「・・・なんだよ、風太郎」
「いや・・・」
「気味が悪いぞ、一体、何だよ」
 笑いを収めて、・・・風太郎。
 やっとの思いで、言ったものである。
「上様とお前、親子だなぁ。なんだか、そっくりだよ」
「はぁーーーっっ!?何がっっ!?」
 ・・・この時ばかりは、葉々気儘之介。
 思い切りに臍を、、曲げて・・・みせたものである。

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