エッセイ集

第8話 山野家のお盆(戸山流)~7月(2003年)

 みなさま、こんにちは。 
 今までのエッセイは、HPサイトアップ前に書いていたものでしたが、これからはサイトアップ後(山野亜紀注:2003年7月以降)のモノになります。
 これも・・・ひとえにHP制作に協力して戴いたEtsukoさんと、林先生のお陰なのですが、陽気のせいでしょうか。
 思うようには、カウンターも動きません。(山野亜紀注:当初は、アクセスカウンターを設置していました)

長岡の花火。2002年に道場仲間・女3人で見に行きました♡

 サイトアップに伴う雑用も結構にあり、そしてどうでもいい事ですが、天気も悪くて洗濯物が乾きません。 (-“-)
 ・・・道着の洗濯の多い私ですが、晴れりゃ暑いし、曇りだと洗濯物に囲まれてるしで。(汗)
 もう、さっぱりと行きたいものですねぇ。(素麺、つるつるって・・・???) (^_^;)

●・・・で、7月になりました。

きゅうりは馬に見立て、ご先祖が早く帰宅できるように。ナスは牛で、ゆっくり帰れるようにとの事で作るらしいです★

 山野家では、7月の声を聞くと、ぼつぼつ「お盆」の支度が始まります。
 ・・・そうは言っても、仏壇の前に「お盆の提灯を飾る」くらいなんですが・・・さして信心深くない「山野家」ですが、やはり昭和一ケタ生まれの母がいるからでしょうね。
 キュウリやナスの馬まではもう作りませんが、そこそこのお盆をやっています。
 提灯を飾って、お酒とビールを仏壇に供え。
 そして一口ですが、素麺も供えます。
 ・・・お供え用の果物や野菜の一籠は、最近八百屋さんで「お盆セット」と称して売ってますよね♡ 
 そしてこの野菜達は、お盆が終れば、味噌汁の具になったりしています・・・。 (^_^;)

 さて前回までは、甲源一刀流をご紹介をしていた・・・訳ですが。
 大河ドラマの撮影が進むにつれて、私こと山野亜紀が経験した流派の数も、一気に増えてまいりました。
 林邦史朗先生扮する小野治郎衛門の修めていた小野派一刀流も、柳生新陰流も・・・とりあえずは、体験をさせて戴きました。 (T_T)
ましてや、二天一流は言うに及ばず。
 それから、新選組で有名な天然理心流の方も、体験をしました。

お盆提灯って、こんなに種類があるんですね。我が家のモノは、一番左のタイプです♫

 その教えの形は、(1対1で対決する組手形式)であったり、1人で黙々と行う居合抜刀術であったりするのですが、どの流派もそれぞれに興味深い処があって、私は抜刀術よりも組手の方が好きなんです。
 何故って、そこにあるものは「1対1の、命懸けの真剣勝負」ですから♡
 そしてやっぱり、お互いに逃げられない勝負の厳しさを感じます。 
 ・・・ある意味でいえば、それって浪漫かも知れないなぁとか、考えます。 (^-^)

 でも、私達が剣術をやるとなると、もしかして・・・同じ型をやっていても、「本当の剣術をやっている方」から見たら、「少し、芝居チック」と言われてしまうかも知れません。 (^^ゞ
 ・・・それも、そうかもなぁ~と思うのは、私こと山野亜紀がやっているのは、剣術でありながら立ち廻り
 つまり、お芝居だからです。

靖国での演武の写真。林流・小太刀の型ですね。これは上段の構え☆

 剣術家にコレを見せたら、もしかしたら、少し大げさと言われるのでしょうか・・・???
 でも、それは仕方のない事です。
 見てつまらない(わからない)お芝居なんて、面白くも何ともないではありませんか。 (^o^)
 そしてそこには、勿論演出家の意見も加わる事になりますから、・・・そこは何しろ虚像の世界ですから。
 ある方は華麗に演じられることでしょうし、ある者は力強く。
 ・・・またある者は、それなりに。(ナンチャッテ★)

 

 そんなこんなの日々でしたが、ある日・・・それは、刀道の稽古の時です。
 さて、刀道の稽古のイメージはと言えば、イコール試斬!・・・と考える方も多いと思います。
 ・・・事実、試斬がやりたくて刀道の稽古に通う方は多いです。
 ウィークディにはネクタイ締めてるサラリーマンの方も、この日ばかりは時代の中を彷徨い(さまよい)ます。
 髪型までは変りませんが、袴を穿いて帯刀し、巻藁を斬る・・・これも、一種の浪漫なのでしょうか。

後ろにある刀掛けは、林先生のお手製です♡

 そのロマンの中で・・・私こと山野亜紀は、とある流派と巡り合いました。
 一通りやってみて、思わず私が言ってしまった・・・その言葉は。
「単純っていうか、ただ斬るだけと言うか・・・。何か、あんまり面白味がないような・・・」
 その時、稽古仲間のチェックの視線が、山野サンに向かって飛んで来ました★
 ・・・ちょっと待った。
 この流派を一生懸命にやっている方も、世の中にたくさんいる筈。
 そういう方々に対してしかも、面白くないなんて・・・お前サン、ちょいと失礼じゃないのかい・・・?

 ・・・で、その日に私が習った流派なのですが・・・。
 抜刀術なのですが、その型の名前も単純です。
 「前の敵」 「右の敵」 「左の敵」 「後ろの敵」
 「突撃」
 「前後の敵」 「左右の敵」
 ・・・詳しい方は、もうお察しの事と思います。
 それは、 戸山流抜刀術 だったのです・・・。

●明治6年(!)

 現在の、東京都新宿区に「陸軍戸山学校」というものが、創設されたのだそうです。
 その目的とは、射撃・体操・剣術・攻守戦法などを習得する事
 つまり、一般軍隊の指導者の育成・・・にあったのだそう。

戸山流を受け継ぐ中村先生は、林先生の試斬の手ほどきをした方☆

 さて明治維新となり、陸軍のトップは、まず各剣術流派の指導者を招いたんだそうです。
 古流の優れた技を選び出して、その当時はまだ正座で行なわれていた刀法の技術を、軍隊用に立技にして直して組み立てさせました
 これが「戸山学校片手軍刀操作術型」と呼ばれ、本日私達が体験したものだったんです・・・。

 それは軍刀の、合理的に使用する術であり。
 実戦において、瞬時に敵の死命を制する気勢及刀勢を会得するなる、一撃必殺(!)を目的とした短期速成教育軍刀訓練でありました。

 ・・・さて、その後は終戦と共に、戸山学校も失われる事となります。
 進駐軍(ようするに、米軍)からの命令で、武道は全面禁止となりました。
 それでも昭和26年、主権回復になりようやく、武道が復活される事となったのだそうです。
 ・・・さて現在では、北は北海道から関東、関西、九州と大きく分けて4ヶ所でこちらの流派は活動中!
 戸山流を名乗っています。

 さて、この戸山流抜刀術の中でも、最も特徴的なのがやっぱり・・・5本目の「突撃」でしょう。
 軍隊ならではのネーミングだとは思いますが、そのとは(!)

 シャキーン・・・と抜刀して、肩刀(右腰の位置に右手、刀を真直ぐ縦に)構えます。
 そしておもむろにその刀を片手上段に振り被り、走って行って前の敵、体転して右の敵、左の敵と斬りまくり、最後に逃げて行く敵を追い詰めて、正面真っ向斬り。正眼、残心、血振、納刀。

 稽古仲間の、溜息も洩れてきます・・・。
 まさに、斬る、斬る、斬る。斬りまくりです・・・。
 抜刀術は、組手よりは殺伐としているような・・・。 
 私こと山野亜紀は、思います。
 この流派には、ロマンがないかも・・・。 (T_T)

●戸山流は、軍隊の指導者育成のための抜刀術のせいか、潅漑深げに・・・こんな会話も出て来ます。

中村1.jpg

弟子A「でもさぁ、帯刀本分者って事は、何人かを率いているリーダーっていう事?」
山野「・・・一応、少尉さんより上の階級の人って事かなぁ・・・」
弟子A「そんな人がさぁ、これをもうやるしかない状況に陥ってるって事はさぁ、その戦争って、もしかしたら終っているんじゃないのかなぁ・・・?」
山野「うーん・・・・・・・・・」 

2009年9月に、靖国神社の能楽堂で演武した時の写真です。右側が私で、靖国神社は明治に入ってから「富国強兵を願って建立されたとされている神社」

私こと、山野亜紀の母は、昭和一ケタの生まれです。
 ・・・たまたま「広島で原爆投下された折」には東京(中野区)に住んでいたそうですし、「東京大空襲の折」にはまだ、広島に住んでいたのだと言います。
 ・・・こんな私の話を聞いて、母がこう言いました。
「それで原爆に勝とうと思っていたのかしら、陸軍は」
 戦争体験者だけに、言葉つきが苦いです・・・。
 そして実は、私の母のお兄さん・・・つまり私にとっては、伯父さんに当たる方・・・なのですが。
 実は、陸軍少尉さんだったのです・・・。  

 大正の終りに、広島県で産まれたという母のお兄さん。
 かの人が生きていた当時は、軍隊に入る事素晴らしい名誉でした。
 ・・・そして当時はまだ、洋服よりも着物の方が主流です。
 そんな折、オーダーメイドで作られるという海軍の制服にもう、憧れに憧れていたお兄さん。
 学校にも行かないで親から家庭教師を付けてもらい、猛勉強をしていたんだそうです。
 ・・・イメージで言えば、そうですねぇ、今の「お受験」に近いでしょうか。

 ですがお兄さんは結局試験には落ちてしまい、海軍には入れず★
 でも、陸軍に入る事は出来ました。
 ・・・陸軍の制服はオーダーメイドではなかったそうで、おシャレなお兄さんは歯噛みして悔しがっていたと聞きます。
 そして・・・結局、冬の台風の最中、九州は門司から台湾に向けて船に乗った所を、魚雷でやられてしまったという事です・・・。
 昭和19年12月2日、享年22歳。
 ・・・当時は柔道や水泳が、大の得意だったというお兄さんでしたが、真冬の台風の中ではもう、どうにもならなかったのでしょう・・・。

 私こと山野亜紀が、その日に習った・・・その流派。 
 それは今は亡き叔父が、生きている頃に軍隊で訓練していた剣術流派だったのです・・・。
 お兄さんは当時、この抜刀術をどんな思いでやっていたのでしょうか。
 ・・・誇らしかったのでしょうか。
 それとも、他にやる事が一杯あって(軍隊ですから)一杯々々だったのでしょうか・・・。

 今年の迎え火は、私が炊きました。
 連日の雨続きでか、おがらにはなかなか火が付きません。
 ・・・早く梅雨が明けてほしい、今日この頃です。

山野亜紀のエッセイ・目次は、こちら!

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