〒351-0012 埼玉県朝霞市栄町2-9-21LinkIcon連絡フォームはこちらから

林邦史朗の人生

HOME > 林邦史朗紹介 > 林邦史朗の人生

林邦史朗の人生

1939年1月1日 東京都墨田区両国で、六人兄弟の三男坊として生まれる。
(太平洋戦争勃発の2年前)

1945年頃まで
(終戦までの幼少時)
両国で空襲に遭い、家族で、新潟県三条市(実父の実家)に疎開。
林少年大・ピンチ!
…本当に、命からがら…という時代でした。
1946~ 1950年
(小学生時代)
新潟から一度、千葉県の市川市(実母の実家)に寄せさせてもらうことに。
その後、小学三年生の時に改めて、東京都の江戸川区の小岩へ家族で引っ越す。
小学生時代は(小岩に引っ越してからも、ずっと)、千葉県の市川市の学校に通いました。
当時は戦争の爪痕も生々しく、学校教育もなかなか復興には至らなかったそうな。
小学校も、クラス数は多く(何クラスだったかは、忘れた…とは林氏の談)しかも、1クラスに40~50人くらいの大所帯。
林少年は時々、学校には行った振りだけして、こっそりと遊ぶ事もありました。
そんな時はよく、江戸川の土手あたりで、遊んでました。
邦画の寅さんで有名な『矢切の渡し』や、柴又の帝釈天まで足を伸ばしたり、バンドで着ている物を濡れないように頭に括り付けては、江戸川を泳いで渡る事もしばしば(!)
時には、里見公園の方まで泳いで渡ったのだそうな。 (結構な距離なのでは・・・)
『江戸川の半魚人』と人に称されるほど、泳ぎも達者になった少年時代でした。
1950~ 1953年
(中学時代)
小岩の中学校に、みんなと同じように『朴歯の下駄』を履いて登校し始める。
しかし、グレかけていた林少年。
この頃は皆勤賞もので学校に通っていたのですが、ある日仲間が売られた喧嘩を買って出たりして、とうとう警察に補導されてしまいます。
その時の警察官が、こんな事を言いました。
「そんな事ばかりしていると、ろくな人間にならないぞ。
 剣道でもやりに来い」
林少年は、小岩警察署の道場で、生まれて初めて武道というものに触れる事になりました。
また林少年、生まれて初めて新聞配達でアルバイト。
欲しかったコンビの靴を自分で購入。
・・・・・・結構、更正しているのではありませんか? 林少年。(^_^;)
1953~ 1956年
(高校時代)
東京都墨田区(最寄は、平井駅)にある、都立向島工業高等学校に、入学。
剣道部がなかったので、自分で作っちゃいました。
その他にも、バレーボールなど始めて、1年の時からレギュラーに。
バレーボールは自分で部長を務め、水泳部にも、柔道部にも顔を出す人気者になりました。(^_^)v
そんな林少年も、いよいよ人生の選択の時期を迎えます。
大学に行くつもりはなく、なんとなく就職試験を受けたら、受かってしまった・・・。
「自分は、これで良いんだろうか…」
さまよう、林少年。
その時(!)
『劇団ひまわり』の団員募集の広告を、新聞で見る事に。
思い立って、役者になる事を『大・決心』する。
「自分は、色男ではないから、息の長い、どんな役でも演じられる役者になろう・・・!」
そんな息子に、もちろん両親は大反対。
何しろ当時は、今とは違って『フリーター』には市民権はなく、『アルバイト』の種類も、ほんの数える程度。
…まっとうな生活とは言えませんから、両親の言う事は、もっともな事でした。
かくして林少年、学校を卒業と共に家を出て独立する事に、あいなった。
男一匹、行方も定かではないがとにかく、世界へ飛び出した………!!
1956~ 1957年
高校卒業後すぐに、『劇団ひまわり』に、所属しました。
当時は、この劇団もまだまだ、稽古場を借りてやっているような所でした。
これが縁で、殺陣師・林邦史朗氏は現在も、この劇団で殺陣を教えております。
『ひまわり』は現在、代官山という一等地で、劇場まで併設している大所帯に。
それとも知らずに、その当時の・・・林青年。
『劇団ひまわり』で殺陣の講師を務めていた『大内竜生』という方に見初められ、この人のもとで勉強をしていこう、と決心致します。
1957~ 1962年
『大内剣友会』に所属、林青年、勉強の時。
当時はテレビ放送は、始まったばっかり。
現在とは、想像も付かないような…しっちゃかめっちゃかな時代でしたが、時代劇は全盛の時。
生放送なので大変でしたが、楽しい時代でもありました。
斬られ役の需要は高く、林青年はちょい役なども演じながら、後に『仮面ライダー』でお馴染み、大野剣友会の道場にちゃっかり、居候。
わいわいやりすぎて、賭博で捕まっちゃった時もありました。(^_^;)
…そんな頃、とある誰かが林青年に、こんな事を言いました。
「邦ちゃん、斬られ役ばっかりやってると、そういう根性が染み付いて役者として見てもらえなくなるよ
林青年、そんな事もあるのかと、一念発起。
大内剣友会をやめて、一人でNHKなど歩いて仕事をもらえるようにと、動き始めました。
1963年
大河ドラマは第二作目、『赤穂浪士』が放送中。
林さん、テロップに名前も載ってますがまだまだ、地道な生活を続けていました。
そんな時の事。
…そう、本日の「その時」が、やって来たのです・・・!
プロデューサーの広江均氏より急に、お声が掛かりました。
「今までにない、リアルな殺陣を、NHKの大河ドラマで、貴方が付けて欲しい」
広江氏は当時、講談浪曲ドラマ(1961年~1964年放送)の演出を手掛けていて、林青年をよく使ってくれていた方でした。
どきどき、わくわく。 紅顔の美(?)青年、林邦史朗氏当時、24歳。
史上最年少の殺陣師(24歳)、林邦史朗の誕生です。
ところで、振り返れば、若気の至りか(………?)
「まぁいいか、やっちゃえ~っ」
…引き受けました、大河ドラマの殺陣師の仕事です。
そこでまずは、一緒に(危険な事でも)やってくれる仲間を林青年はまず、探す事にしました。
そして『7人の侍』ならぬ、『7人の命知らず』が集まりました。(^_^;)
当時はまだ、スタントマンという言葉が一般に普及していません。
それで、とりあえずグループ名として、こんな名前にしてみました。
『若駒冒険グループ』
現在の名前は、株式会社 若駒プロ。
これ以降、殺陣師・林邦史朗は、NHK大河ドラマに関わり続けて参ります。
1964年
NHKでは『講談浪曲ドラマ』や『風雪』などが、放送されていました。
林青年はこれらの作品に殺陣を振り付け、殺陣師としても一本立ちをして、正式に働き始めます。
もちろん、翌年の大河ドラマ『太閤記』の殺陣師としても大・奮戦(!)
一生懸命、殺陣の振付から、時にはスタントマンを自ら務めたりする事もありました。
合戦シーンでは、役者の一人として味方になったり、敵になったりと出演する事も致しました。
また、撮影のスタッフの一人として、例えば衣装替えをいかにスムーズにするか、などなど。
案を出し続け、いかに迅速に質の良い作品が作れるか、監督の吉田直哉さんを囲んで(振り返れば、1人7役くらいの感じで)、働きぬきました。
1965年
大河ドラマ『太閤記』(緒形拳・主演)がいよいよ、放送開始。
この『太閤記の同窓会』は大体、年1回を目処に吉田直哉監督を囲んで行われていて、当時は織田信長役の高橋幸治さんが、大の人気者に。
NHKに「信長を、殺さないでくれ」という投書が、殺到したとか。(^_^)v
また、個人的には林さん、現在の奥様と結婚。
子供も産まれることになり、パパに殺陣師に役者にと、個人的にも、とっても充実していた時期です
1968年
NHKでは、北大路欣也さん主演の『竜馬がゆく』が放送開始。
林さん、竜馬を斬る刺客として登場しました。
またこの年、TBSで『顎十郎捕物帳』という番組があり、そこで初めて中村泰三郎先生の真剣試斬を目の当たりにし、自分も殺陣師として是非、こういう事が出来るようになりたいと、神奈川県の逗子市まで通いました。
1970年
NHKの仕事の他に、TBSで大人気番組『8時だよ!全員集合』が開始。
『女ねずみ小僧』なども振り付け、いやはや林さん、この頃は寝る暇もないくらいの大忙し。
御歳、31歳
1975年
松田優作さんの『俺達の勲章』なども、手掛けます。
林先生曰く、「松田さんは、むずかしい所もあったけれど、自分とは気が合った」らしいです。
また、林さん。 『日本伝来の武道』と『殺陣』を融合した、『武劇』も創始。
沖縄の『日本海洋博覧会』会場で、武劇を発表致しました。
男36歳、まだまだ、どんどんとやりたい事を、追求していきます。
1976年
大河ドラマに関わり、TBSでは『青春の門』などに出演をしながら、林さん。
以外に、立ち廻りを勉強する場が無い事に、気が付きました。
そこで、いつでも気軽に利用できるよう、『若駒アクションクラブ』をこの年、設立しました。
このクラブは、現在も渋谷(駅より、徒歩5分)の蔵修館と、朝霞(駅より、徒歩13分ほど)の武劇館道場で、林さん。
スケジュールの許す限り、自ら稽古を付けてます。
1977年
NHK『花神』(原作・司馬遼太郎)で、「竜馬の刺客役を、演じてくれ」と依頼されました。
『竜馬がゆく』(こちらも、司馬遼太郎原作)の「竜馬の刺客役」に続いて、またもや、またもや。(^_^;)
林さん、歴史上の人物で大好きな『坂本竜馬』を、2度斬る羽目に。
またこの年は、殺陣師15周年記念公演として、ABCホールで自ら創始した『武劇』も、披露致しました。
1978年
沖雅也さんなどが出演していた『大追跡』で林さん、擬斗指導をしています。
第1回目でしたか。
横浜ロケで、ヤクザの若駒一家が、トンファーなど、ちょっと珍しい武器を持って刑事側メンバーと、大立ち廻り。
この頃のアクションは、とっても格好良くって、みんなの憧れの的でした。(^-^)
またこの年、日本放送協会より感謝状も戴きました。
1979年
『俺たちは天使だ』の擬斗指導も、手掛けました。
林さんは、ヤクザの組長役でも出演。若駒メンバーで華麗かつ、笑わせてくれるヤクザの立ち廻りを、バンバン披露してくれました。
また、当時は『東京都俳優生活協同組合』という所で、殺陣の講師も務めました。
林さん、働き盛りの40代に突入
1980年
NHKでは、『クイズ面白ゼミナール』が放送開始。
若駒メンバーは、時代劇クイズの演技で、大活躍。
また、テレビドラマでは『蒼き狼』(井上靖原作)の放送が、始まりました。
林さん、この番組では殺陣師も勤めながら、中国へロケ遠征。自からもこの作品に出演してました。
この番組のオープニングでは、林さんが(テムジンの吹替えで)馬に乗って、ずーーーーっとゴビ砂漠を行く映像が流れるのだそうですが、この馬は、とても具合が良く、撮影中はとっても気持ちよく走れたのだそうです。
またこの年、知り合いに頼まれて、小規模ながらもアメリカのロサンゼルス(ニューオータニ)で『武劇』を披露。
会社の設立何十周年とかいう、大きな企画でした。
またその時、見に来ていたラスベガスの、マリーナホテルのオーナーの意向で、ラスベガスでも急遽『武劇』を公演する事に。
急に決まったことなので、アメリカで試斬しようにも、当時は畳表(試斬の材料)がアメリカにはなかったので、サトウキビを束ねて斬ってみたりと、工夫しました。
1981年
埼玉県の朝霞市に、殺陣に関するすべてを総合的に研究・指導する道場を開設しました。
その名も、『殺陣道場 武劇館』
林さん、長年夢見ていた道場主に。
1982年
この年の大河ドラマ『峠の群像』では、弟子を『殺陣師として独立』させました。
もちろん(殺陣指導の方は)弟子を助けながらも、この作品では役者として出演しました。
また、沖縄海洋博での実績を買われました林さん。
20名構成で、オランダで『武劇』を公演しました。
1ヶ月の間、オランダ各地で公演していましたが、行く先々で物凄い反響(!)を呼びました。
ですが、スケジュールがなかなか噛み合わず、しばらく海外公演はお休みすることに
1983年
NHKでは、大河ドラマは『徳川家康』を放送してました。
林さんは、知り合いに頼まれて『聖心インターナショナルスクール』で、学生相手に『林流・護身術』を教えることに。
またそのツテで『アメリカンクラブ』(日本在住の、外国人達の集い。職業的には、新聞記者が多かった)に招かれ、そこでも日本文化の一つである『武劇』を公演致しました。
『殺陣師25周年』を記念して、公演も行いました。
1984年
水曜時代劇(現在は、土曜時代劇)で、役所広司主演の『宮本武蔵』が放送開始。
いかにも武蔵らしいと、評判の番組だったそうな。
1987年
映画『嵐が丘』で、松田優作さんとまた仕事をしました。
また、NHKでは現在も再放送の声が高い『独眼竜政宗』が放送開始。
この時の政宗役のイメージが、『ラストサムライ』にも生かされたとか、そうではないとか。
1988年
大河ドラマでは、『武田信玄』が放送開始。
また林さん、全日本テレビ番組製作者連盟というところから、『殺陣部門個人賞』を戴きました。
1989年
この年、ある痛ましい事件を切っ掛けに、日本俳優連合に初めて『殺陣対策委員会』が発足しました。
林さん、初代の委員長を務めました。
そろそろ、50の大台にも乗りました、林さん。
長年の友人である故・中沢敏先生と刀道を極めるべく『全日本刀道連盟』を立ち上げ、最高師範に就任しました。
1990年
大河ドラマでは、『翔ぶが如く』が放送開始。
「ところで邦ちゃん、竜馬の刺客役を演じてくれるかい?」
との、監督の鶴の一声で、またまや、またもや、またもや。
『竜馬がゆく』『花神』『翔ぶが如く』<(これまた、3作とも原作は、司馬遼太郎氏)で、3回竜馬を斬っちゃいました。林さん、竜馬は嫌いじゃなくて、実はとっても好きなんだけど★
「こんなことって、あるんだねぇ~…」ってのは、本人の談。(^_^;)
1991年
大河ドラマでは『太平記』が、放送開始。
また、林さん。
護身術を楽しく勉強できる『国際護身術振興会(IADA)』を、設立。
理事長ならびに、最高師範に就任致しました。
1992年
㈱BABジャパンよりこの年、『真剣刀法のすべて』がビデオ出版。
この作品は現在も、DVDに形を変えて全国の書店で販売中です。
また、国際武術博覧会『中国』にて、林さんは金賞を受賞しました。
また、子ども舞台芸術新作フェスティバルの『キッズ&アーツ・イン神戸』にて。
日本俳優連合製作による舞台で、『華と剣』が公演されました。
林与一氏を中心に、林邦史朗氏の殺陣を加えた『日本舞踊』と『立ち廻りの実演』だったそうで、司祭役は江見俊太郎氏。 とても好評だったそうな。
テレビでは金曜時代劇(現在は、土曜時代劇)で、村上弘明主演の『腕におぼえあり』が放送開始。
今までにないような斬新な殺陣で、これまた、お茶の間には大受けでした。(^_^)v
1995年
BSドラマ『龍(ロン)』で、林さん。
龍さんの武術(太極拳)の師匠役で、出演もしました。
1996年
阿部寛主演の『天晴れ夜十郎』が、放送開始。
ドラマ立ち上げ時から、林さんはアイデアを連発。
現代から江戸時代にタイムスリップした夜十郎が、記憶をなくしていながら、何故か腕が立つという設定。
古武術の心得があったとしたら、どうか」
夜十郎役の阿部さんは、この時より『真剣刀法』を、林さんより習い始めました。
1999年
林さん、大河ドラマ『元禄繚乱』を手掛けながら、60歳で還暦を迎えた記念に、何気なく健康診断を受けました。
ところがいきなり、『前立腺癌』を、医師から宣告される事に。
手術を勧められながらも、なかなか仕事の折り合いが付かなくて、薬物投与で急場をしのぎます。(T_T)
その薬物とは、な、なんと・・・っつ!!(-_-;)
『女性ホルモン』
………林さん、当時は『逆三角形の体系』を欲しいままにしていたのですが、なんと(!)
女性ホルモンの力は性別をこえて、林さんのマッチョな身体「おっぱい」が出来るという珍事(!)を引き起こしました。(^_^;)
「ちょっと~~、これ、感じちゃうかも~~」
…ってな台詞を、連発(!)していた…林さん。
その場に居合わせた弟子達に、これまた、自慢そうに出来た「おっぱい」を、見せまくってくれました。(^_^;)
…弟子達はなんだか、余りのことに、大笑い
そんなこんなありましたが、それでもようやく、この年の終わりにはなんとか、手術のスケジュールを、入れる事が出来ました。
2000年
林さん、年明けて病院から無事に、生還を致しました。
弟子たちも、大喜び。(^0_0^)
この年は、21世紀を迎える要の大河『スーパー大河』として、NHK側が特別予算を組んで作った『葵~徳川三代』がいよいよ、放送開始。
この時とばかりにエキストラも総動員して、大幅なロケスケジュールが組まれました。
現場復帰してすぐに、林さんも大忙し。
当時の、本人の言う事には。
「仕事も遊びも、元気にやってます」
2001年
テレビゲームが、PSやセガなど、大流行(おおはやり)の、この頃。
ゲーム『信長の野望』では、若駒メンバーがモーションキャプチャーを務めました。
また、壮神社という出版社から『殺陣師見参』が出版。
同出版社からは、『護身のテクニック初・上級編』がビデオ出版されました。
また、㈱プロデュース社からも『実践武器術大全ヌンチャク・トンファー』がビデオ出版されました。
2002年
NHK大河ドラマでは、『利家とまつ』が放送開始。
またこの年、『プロフェッショナル』という番組で、林さんの殺陣師人生が紹介されました。
これがまた、なかなか好評だったそうな。
2003年
『武蔵~MUSASHI~』が、放送開始。 林さん、小野派一刀流の小野治郎衛門忠明役で登場しました。
この作品には、あらゆる流派が出てきて、決闘の立ち廻りも数多く、主役の市川新之助(現・海老蔵)さんもとっても振り覚えが良くって、林さん、ご満悦。
若駒アクションクラブでは、『柳生新陰流』や『二天一流』の稽古が、数多く取り入れられました。
特に講師は招かず、林さん自ら、これらの流派を弟子たちに、教えてくれました。
林さんの中では、
「武蔵ではやっぱり、私の中では、鎖鎌の立ち廻りが一番かなぁ」とか。
2004年
『新選組!』が、いよいよ放送開始。
人気者が数多く出演する、この作品。視聴率も、良好でした。
何しろ人気者が多いので、役者のスケジュールがほとんど合わないという現象が、起こりました。
NHKでは、平素は『リハーサル日』と『本番日』を別に設けているのですが、この作品に限っては、『リハーサル日』は特に設けず、本番の前に諸々、軽く合せて即、本番撮影…という収録形態でした。
若駒アクションクラブや、林さんが教えているタレント養成所の殺陣の稽古の時間では、『天然理心流』や『神道無念流』、『北辰一刀流』の稽古などが、繰り返し行われてました。
これらの流派も、稽古場では特に講師は招かず、林さんの手で行われました。
林さん曰く、
「他の殺陣師さんは、流派の事は殆ど研究していないと思う。
 でも自分は、日本の文化としてもそうだし何より、そういう事が出来る殺陣師でありたいと思うから、こうしているだけなんだ」
この年、体育とスポーツ社より『殺陣・武術指導 林邦史朗』が出版されました。
2005年
『義経』放送開始。その後、滝沢さんのコンサートで、林さんの振り付けで『義経伝説』なる演目が、披露されました。
また、林さんと芸能プロダクション『オフィス・リバティ』さん協力のもとに、殺陣教育DVD(又はVHS)の『林流 殺陣・初段~現代劇編~』を、ようやく発売に漕ぎ付けました。(^_^)v
2006年
『功名が辻』が放送開始。
また新橋演舞場の演目で、『滝沢演舞場』という作品が行われていました。
で、林さん、第2部の『義経』の立ち廻りを、振り付け。いやはや、火事騒ぎもあったりして、大変でした。
殺陣教育DVDの方も、『林流 殺陣・初段~刀法編~』『林流 殺陣・初段~所作編~』が同時に発売の運びへ。初段編が3巻、揃い踏みとなりました。
2007年
『風林火山』が放送開始。
内野聖陽さん、千葉真一さんなど、個性豊かなメンバーの役柄に合った立ち廻りをと、林さんが大活躍。
最後のロケ―ション地は勿論、川中島でした。暑くて暑くて、しかし日陰のない場所でのロケだったので、この年は大変でした。(-_-;)
またこの年、殺陣教育DVDの方も、『林流 殺陣~長物編』を発売しました。
2008年
2009年の大河ドラマは、『天地人』(直江謙継が主人公)。
戦国時代のお話で馬の出演も多くある事から、ようやくこの年、林さんの念願だった『劇用馬コーディネイトチーム』が誕生しました
2009年
芸能生活50周年を記念して、東京都武蔵野市の前進座にて、記念公演『名残~NAGORI~』を行いました。
「お芝居」と「武劇」のコラボで行われましたこの公演、大河ドラマの撮影はもちろん、ロケまでが絡み合うスケジュールの中で公演の稽古も行われ、若駒メンバーの何人かは、完徹明けで稽古場に向かう日も。
打ち上げの場で、…林さんが言いました。
「産まれて初めて50年かけて、主役になってみたいという夢が叶いました。
 あきらめなければ、皆さんも、50年頑張っていれば主役が出来ます」
との林さんの言葉に、出演者一同が泣きました。(T_T)
2011年
2011年の大河ドラマは、『江~姫たちの戦国~』(上野樹理・主演)
女性が主演とはいえ、戦国時代のドラマでしたから、殺陣は色々ありましたが、今や知らない人はいないであろう、向井理さんや、子役の特訓が印象深いとか。
2012年
2012年の大河ドラマは、『平清盛』(松山ケンイチ・主演)
撮影開始はまず、岩手に1ヶ月、次いで広島に1ヶ月のロケ撮影から。山賊退治、海賊退治と続いて、猛暑の中でのスケールの大きなロケが印象的でした。
またこの年は夏に、名古屋で企業のレセプション(フランス人の、エリート営業マンをもてなすパーティー)で、「体術などを組み合わせた、武劇ショー」をしました。
・・・それが行きの高速で、静岡辺り。
弟子に車を運転させていたので、ものすごく気を付けていたのに、ほんの一瞬の隙にスピード違反の切符を切られて、非常に悔しかったんだそうです。(そして、運転させていた弟子に、とても気の毒な事をしたと、後悔)
この時にはまた、高速の出口ではさんざん迷うし、駅前の駐車場が地図を見てもよく判らないし、名古屋の人がまた、右折ラインには全然入れてくれないから(例の、違反キップを切られた)弟子が困り果ててしまったので、自分で車を降りて、交通整理をしてようやく、仕事先に行けたのがひたすら、印象深い。
・・・そしてこの年、次の時代を任せるべく育ててきた弟子で、もちろん役者で殺陣師にもした竹田寿郎さんが、57歳の若さで亡くなってしまったのは心に堪えたのだそうです。
2013年
昨今は、女性が強い時代だと言いますが、この年はやたら女性の殺陣シーンが多い年でした。
薙刀の稽古風景の撮影も多くて、「自分が作った薙刀の組手」から、監督に3本選んでもらっての、稽古風景を撮影する事になりました。
・・・勘のいい主役の綾瀬はるかさんなんかは、すぐにこの組手を覚えてしまったんですが、他の女優さんはけっこう大変で、宮崎美子さんや秋吉久美子さん辺りは、NHKの特訓だけでなく、道場にまで自主的に来て、稽古をして行かれました。
この2名はやっぱり、えらいと思ったんだそうです。
2014年
この年は、教えに行っている劇団ひまわりの劇場を借りて、林先生としては「外国人向けの武劇ショー」として考案していた舞台をやりました。
とにかく、自分がやるのだから、殺陣を中心に持って来た舞台をやりたいと言った処、弟子が、だったらという事で、「殺陣ライブ」という名前を付けました。
前半は武劇仕立てにしたんですが、後半はまた別の弟子が「せっかくだから、殺陣の演武だけでなく、芝居(時代劇)がやりたい」と脚本まで書いて来たので、・・・それはともかく。
時代劇にしてみようかと思ったそうですが、時代劇といえば、鬘。
・・・鬘を使うと(金銭的に)大変なので、あまり関係がない処で戦国の時代の話に仕立て、自分で脚本を書かれたそうです。
この舞台は、先ほどの「殺陣ライブ」と名付けた弟子がプロデューサーを務めていて、彼女が、「ドリンク1杯のサービスと、おつまみ程度の料理を出したい」と言い出しました。
彼女は料理のHPを作っていて、一応は林先生ご自身が「健康アドバイザーとして参加」してたので許可したものの、・・・料理はともかく、ドリンクとビールの提供は大変でした。
・・・結局料理の方は、やっぱり自分の林先生の弟子で、料理人がいたので彼女が頼んだところ、快く引き受けてくれました。
たまたま彼はその頃、ケータリング会社に務めていたので好都合だったんだそうですが、来てくれたお客には好評だったよう。
またこの年は、高橋英樹ちゃん(林先生は、こう呼ぶ)とコンビで、2つのバラエティーに出演しました。
・・・スタッフが剣術も殺陣も全く判らず、でも本番にはそんな話を取り入れたいとかで、武蔵はどうだとか、とにかく、いろいろ質問をして来ました。
またこの時は、自分が付けた殺陣を観ていて、サプライズで英樹ちゃんが、本番で演武をしてくれたんだそうです。
・・・昔は、こんな事をよくやったとの、お話でした。
2015年

sign.jpg

情報は、『公式ブログ』からも!

林流のイベント情報や、稽古情報など
LinkIcon公式ブログは、こちらをクリック!

武劇館SHOP
top_07.jpg
殺陣のことならなんでも分かる、特製DVDや、殺陣師林邦史朗先生の著作など、ここでしか買えない武劇館グッズ満載のオンラインショップです!
※詳細は、画像をクリック!

sign.jpg